レジェ:バレエ・メカニック
フェルナン・レジェ「バレエ・メカニック」全文
(『レスプリ・ヌーヴォー』28号、1925年より)
事物ーイメージーもっとも日常的なもの。
人の顔、顔の断片、金属製の機械の断片、工業製品、最小限の遠近法によるクローズ・アップの映写。
この映画特有の関心は、「静止したイメージ」と、そのイメージの計算され、自動化され、減速あるいは加速され、追加や類似を伴う映写に対して我々が与える重要性に向けられている。
シナリオはない。ーリズムに従ったイメージ同士の反応、それがすべて。
この映画を構成するうえで関心を寄せた2つの係数:
映写速度の変化。
それら複数の速度のリズム。
ある重要な成果は、マーフィー氏の技術的な革新とエズラ・パウンド*1氏に負っている。
それは、投影されるイメージの度重なる変化である。
いくつかの絵になるような「絵葉書」的なイメージの通過は、それ自体ではなんの価値もないが、それらに続く諸々のイメージとの関係や相互反応のなかで、多様な変化とコントラストを生むために意味をもつ。
映像は7つの縦のセクションに分かれている。それら(クローズ・アップ、奥行きの欠如、動きのある画面)の速度は、緩やかなものから急速へと向かう。
各セクションはそれぞれ固有の統一性を有しているが、それはよく似た、あるいは同じ性質の諸々の事物=イメージの集合がもつ類似性に由来している。このことには、構成する、そして映像の断片化を避けるという目的がある。
個々のセクションにおける多様な変化を確保するために、類似する形態(色彩)が各セクションを横切るよう非常に急速に挿入されている。
この映画は終始、十分に正確な計算の原則に従っている。出来うる限りにおいてもっとも正確な計算に(数、速さ、テンボ)。
事物は以下のリズムに従って映写される:
1秒につき6コマを30秒間
1秒につき3コマを20秒間
1秒につき10コマを30秒間
観る者の目と精神が「もはやこれを受け入れなくなる」まで、我々は「繰り返す」。耐えられなくなるその瞬間まで、我々は事物のもつスペクタクルの価値を汲み尽くす。
この映画は客観的で現実的であり、まったく抽象的なものではない。
私は、ダドリー・マーフィーとの緊密な共同制作によってこれを作りあげた。
我々は、作曲家ジョージ・アンタイルに対して、映像にシンクロする音楽の編曲を依頼した。ドラコム氏*2の科学技術のおかげで、我々はもっとも絶対的な手法でもって、音とイメージの同時性を機械的に得ることを期待できる。
1924年7月
フェルナン・レジェ
*1.アメリカの詩人。レジェ、マーフィー、アンタイルの三人をひき合わせた人物。
*2.フランスの発明家シャルル・ドラコミューヌのこと。映像と音声(オーケストラの生演奏など)をシンクロ(同期)する機器「サンクローシネ(Synchro-Cine)」の発明で知られる。